津地方裁判所 昭和51年(ワ)55号 判決 1980年4月24日
原告 甲野一郎
右訴訟代理人弁護士 赤塚宋一
同 中村亀雄
同 松葉謙三
同 川嶋冨士雄
同 石坂俊雄
同 村田正人
被告 三重県
右代表者知事 田川亮三
右訴訟代理人弁護士 吉住慶之助
右指定代理人 澤田成雄
<ほか七名>
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告に対し一二〇〇万円及びこれに対する昭和五一年五月八日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告は、昭和三七年一一月二二日普通自動車及び自動二輪車の、同四一年六月二九日大型自動車第一種の各運転免許を受け、爾来運転手として自動車運転の業務に従事してきた。
2 原告は、昭和四四年七月九日早朝京都市伏見区下鳥羽平塚町五八番地先国道一号線路上交差点において交通事故をおこし、同四五年には速度違反、追越禁止違反の二度の違反をしたため、処分前歴一回違反累積四点となり、道路交通法施行令三八条一項二号イにより同年九月二五日免許の効力停止九〇日の処分を受け、同月三〇日及び一〇月一二日の二日間にわたり道路交通法(以下「道交法」と略す)所定の講習を受けたが、右講習の一課程として受講した運転者の性格等に関する適性検査(科学警察研究所編)の判定値が五段階中最低段階の1ときわめて低く、さらに観察要目(チェック・リスト)による観察がなされた結果精神薄弱の疑いがもたれたため、同法一〇二条一項による臨時適性検査が実施され、同法一〇四条四項に基づく三重県公安委員会(以下「公安委員会」という)の指定医師野村純一による検査の結果、軽症魯鈍級の精神薄弱と診断された。
3 そこで、公安委員会は昭和四五年一二月一二日審理した結果、同四六年一月二五日原告に対し、精神薄弱者であることを理由として道交法一〇三条一項、同法八八条一項二号に基づき前記各種運転免許の取消処分をなした。
4 しかして、原告は昭和四六年四月一六日津地方裁判所に対して、公安委員会を相手どり右免許取消処分の無効確認及び取消の訴(同裁判所昭和四六年(行ウ)第一号)を提起したところ、同裁判所は、同五一年二月二六日、原告は精神薄弱者ではないと認定して、原告の請求を認容し、右免許取消処分を取消す旨の判決を言渡し、右判決は同年三月一三日確定した。
5 被告の責任
公安委員会による原告に対する本件免許取消処分は、以下(一)ないし(五)において述べる過失による違法な処分であり、右処分は被告の公権力の行使に当る機関がその職務としてなした行為であるから、被告は国家賠償法一条により原告がこうむった後記損害を賠償する責任がある。
(一) 公安委員会指定医の過失
(1) 公安委員会指定医の法律上の性格
国家賠償法にいう公務員とは、ひろく公務を委託されてこれに従事する一切の者をいうから道交法一〇四条四項に基づく公安委員会指定医も公務員であり(同法一条にいう「公務員」とは、いわゆる官吏、公吏はもとより全ての国または公共団体のため広く公務を委託された者をいい、公務員という身分は必要としないし、臨時的一時的なものでもよく、給与報酬の有無も問題にならない。)、その職責からみて公安委員会の補助機関もしくは内部構成員というべきものである。
(2) 指定医の診断の誤り
公安委員会により指定医とされた医師野村純一は、原告を軽症魯鈍級の精神薄弱と誤診した。精神薄弱者の概念は、一九五四年WHO(世界保健機構)の定義「精神能力の全般的発達が不完全もしくは不十分な状態」、一九五九年AAMD(アメリカ精神薄弱協会)の定義「発育期中に始まる社会適応行動の障害をともなっている一般的知能機能の水準以下のもの」、昭和二八年六月八日文部特第三〇三号文部事務次官通達「種々の原因により精神発育が恒久的に遅滞し、このため知的能力が劣り、自己の身辺のことがらの処理及び社会生活への適応が著しく困難なものを精神薄弱とする」に代表されるように、近時の日本の精神医学会においても、知的能力と社会的適応能力の両者を考慮する立場でこれを理解する者が多数である。ましてや、道交法八八条一項二号所定の精神薄弱者の概念は、道路交通の場面という社会事象を正常に処理しうる能力が問題となるから、知的能力のみによって限定する狭い定義では誤まりであって、知的能力と社会的適応能力の両者を概念規定の中心に据える前記WHO・AAMD・文部省等の立場を妥当とすべきである。
そして、以上の基本的認識は、当然指定医の一般的認識でなければならないはずである。
野村医師は原告を直接面接して問診した結果、外見的には特に異常を認めず、病的体験もなく、質問にもよく答え、仕事ぶりや対人適応に問題はなく、簡単な交通標識等は大体理解していると診断したのであるから、当然、社会的適応能力を認定すべきであり、知的側面のみにとらわれるべきでなかった。
さらに、知的側面にしても、脳波検査も知能検査もせず、集団検査としての適性検査の結果のみを知能測定の手段とし、その他の心理テストも為されていないから、ただ、問診の際の読み書きの点と計算能力の点とから原告の知能を一定水準以下と判断したことになる。しかし、右判断は資料が不十分かつ一面的であって、他の身体的な所見、生育歴、職歴、性格等の点については問題点の指摘がないのであるから、結局右信用性の薄い知能についての判断から原告が精神薄弱であるとの結論が導き出されたものと評価せざるを得ないので、右結論が妥当なものであるとは言い難い。
以上から明らかなとおり、公安委員会の指定医であった野村医師は精神薄弱者の概念のとらえかたについて、主に知能面のみを重視し、社会的適応能力を看過した点及び知能面についても不十分かつ一面的な資料しかないにもかかわらず脳波検査、知能検査を怠った点に過失があり、右過失により原告を精神薄弱者であると誤診した。
(3) したがって、前記の指定医の法律上の性格にかんがみ、右指定医の過失はとりもなおさず公安委員会の過失となるものである。
(二) 公安委員会の道交法八八条一項二号の「精神薄弱者」概念の無理解による過失
(1) 精神医学上の精神薄弱者に対する概念としてWHO及びAAMDの定義とするところは前記のとおりであり、学校教育法七一条の二及び同法施行令二二条の二によれば、精神薄弱者の概念は、「精神発育の程度が中度以上のもの、及び精神発育の遅滞の程度が軽度のもののうち、社会適応性が特に乏しいもの」と規定されている。
このように精神薄弱であるか否かの判断基準は、単に知的機能(能力)が有意に平均以下であるということだけでは不十分であり、知的機能に加えて、社会適応能力があるか否かを含めてなすべきであるというのが、昭和四五年当時における世界各国及び日本における精神医学会の一致した見解であり、一部の異説を除いては、この考え方は、わが国ばかりでなく、ほとんど世界共通の見解であるということができる。
(2) 道交法が精神薄弱者等を運転免許欠格者とした趣旨は、道路交通の安全確保のため必要であると考えたからであろう。そうすると、右欠格者とは、具体的な道路交通の場面において、客観的状況を正しく認識し、右認識に基いて、当該状況に応じた適切な運転操作を決定し、右決定を速やかに実践しうる能力に欠けるものがそれにあたると解すべきことになる。
即ち、道路交通の場面という特殊な社会的環境において、状況を的確に認識し、他者との関係を正常に処理しうる能力が要請されているということになる。
そうであるならば、道交法上の精神薄弱者概念を、単に知的能力(IQ)のみによって定義づけることはあやまっており、知的能力と社会適応能力の二面からの定義づけのみが妥当である。このことは、前記のWHO・AAMD・文部省等のほとんど世界共通の精神薄弱者に対する立場に従うことになるのである。そして、警察庁交通局運転免許課もこの点に関し、「道交法八八条一項二号の精神薄弱者とは、公安委員会が道交法の目的にかんがみ、自動車等を運転することが道路交通上危険であることを認める精神薄弱者をいうものであり、この判定は、医師の診断結果・過去の運転上の経歴による危険性及び自動車等の運転上必要とされる判断能力などを総合的に判断して行なうものである」との意見を表明しており単に知的能力のみではなく社会適応能力をも考慮すべきであることを示している。
(3) 以上のような事実からするならば、公安委員会は、昭和四五年当時において、道交法八八条一項二号の精神薄弱者とは、知的能力と社会適応能力の両面が欠落している者であるということを当然知り得べきであったにもかかわらず、道交法上の精神薄弱者の範囲を精神医学上のそれと同一と解したうえ、精神医学上の精神薄弱者を単に知的能力の面からのみとらえる見解に立ち、精神医学及び道交法上の各精神薄弱者に対する正しい理解を欠いていたために、ほんらい公安委員会としては「あらかじめ指定した医師の診断に基づき」、「過去の運転上の経歴による危険性及び自動車等の運転上必要とされる判断能力などを総合的に判断して」、「道交法の目的にかんがみ、自動車を運転することが道路交通上危険であると認めた」場合にかぎって、精神薄弱者に該当すると認定すべきであったのに、単に指定医の診断書によりただちに精神薄弱であると認定し、あやまって原告を精神薄弱者であると判定したものであるから、この点につき過失がある。
(三) 公安委員会の調査・慎重審議義務違反の過失
(1) 公安委員会の調査・慎重審議義務
およそ、公安委員会が精神薄弱者の理由をもって運転免許の取消処分を為す場合は、被処分者に対し、精神薄弱というレッテルを貼られる衝撃を与えるばかりでなく、運転手という職種を奪い、異職種の就労を強い、あまつさえ賃金を激減させ、生活をおびやかす重大な影響を与える危険があるから、十分な資料に基づいて調査の上、慎重な審議を重ねて、厳正な判断をしなければならない義務が存することは、職務上、また条理上言うまでもないことである。
即ち公安委員会としては、該当者が医学的にみて精神薄弱であるか否か、医学的にみて精神薄弱であるとしても、それが道交法八八条一項二号の精神薄弱者であるか否かについて、専門医の診断のみならず、過去の運転上の経歴による危険性、自動車等の運転上必要とされる判断能力などを総合的に判断して、自動車等を運転することが、道路交通上危険であるか否かの結論を出すべきである。
そのためには少くとも、右専門医の診断書に加えて、生育歴・職歴・運転歴・事故歴等を調べ、さらに脳波検査・知能検査その他各種の心理テストをした上で道交法の精神薄弱者にあたるか否かを判断すべき義務がある。
(2) 公安委員会の調査義務懈怠
公安委員会が調査した資料が如何に不十分であり調査義務を著しく懈怠しているかにつき以下詳述する。
(ⅰ) 原告の事故歴・交通違反歴
公安委員会が取消処分を決定した時点で基礎資料としたのは、昭和四四年七月のスリップ事故一件・同四五年七月の二一キロオーバーのスピード違反一件・同年一一月の追越違反一件のみである。
スリップ事故は、雨の中でスリップして、同乗の助手が加療約三週間の怪我を受けた事故であり、また他の二件の違反も決して異常な事故ではない。
原告が免許を取得して職業運転手として稼働しはじめてから免許を取消されるまでの九年間において、一件の事故と二件の違反は、他の職業運転手に比して決して多いとは言えない。
さらに、精神障害者の事故は少ない。すなわち、全体の免許取得者二〇〇〇万人の死傷事故率は一・六パーセントであるが、精神障害のある免許取得者六ないし一二万人のそれは〇・一ないし〇・〇五パーセントであってかなり低いことがわかる。
したがって、この事故歴・違反歴の資料は、運転の適性の資料でこそあれ、決して運転不適性の資料たりえず、ましてや精神薄弱の資料たり得ないことは明白である。
(ⅱ) 運転適性検査
運転適性検査については、その作成上に①被験者の選択が恣意的であり、かつ、被験者の数が少い②他の被験者に右検査を試みても有意差が生じてこない③右検査は追跡調査がなされていない点において誤りがあり、右検査は妥当性信用性を有していない。さらに、右適性検査は被験者が精神薄弱か否かを直接に調査することを目的とするものではなく、内容的に知能テスト・性格テストの要素があるが、非専門家による集団的なものである以上、知能及び性格について、被験者の一応の傾向、特微をつかむうえでの参考資料とはなりうるとしても、それ以上に精神薄弱であるか否かを判定するについて、どのような性格をもつ検査であるのか明らかでなく右適性検査の結果は原告を精神薄弱であると判定する資料とはなしえない。
(ⅲ) 観察要目(チェック・リスト)
原告はチェック・リストのうち「首相の名を知らない」、「最近の大事件を知らない」、「簡単な字がかけない」、「簡単な計算ができない」という四点にチェックされた。これだけでは、正常か精神薄弱者かの判定の基準にもならない。首相の名にしても、チェック時の体調や環境によっては、いわゆる「度忘れ」する場合もあろうし、最近の大事件といっても、世界のか・日本のか・三重県のか・自分自身のか漠然とした質問で答えにくいであろう。したがって、観察要目は原告を精神薄弱と認定するなんらの資料にもなり得ないと解すべきである。
(3) 公安委員会の慎重審議義務懈怠
(ⅰ) 原告の免許取消処分をするに際して、公安委員会へ出された資料は「免許の欠格者審査手続書」とその添付書類としての「運転適性精密検査書」のみである。
(ⅱ) 右書面には、参考事項として事故歴一回と違反歴二回が記載されている。
原告は免許取消に至るまで足かけ九年の間に事故歴一回違反歴五回を犯しているが、職業運転手として決して特異な交通違反歴の持主であるとはいえない。それにもかかわらず、委員会の審議に出席した三重県警察本部の山本運転免許課長は、その点を明確に公安委員に説明せず、公安委員も記録をみれば容易に原告の運転歴・事故歴・違反歴は知りえたのにそれをせず、不十分な山本課長の説明により、あたかも原告が自動車運転危険者であり事故多発者であると判断をした過失がある。
(ⅲ) 運転適性精密検査書の検査の結果及び所見の記載欄に指定医の「質問に良く答え、別に病的体験もないが、知的作業をやらせるとかなり不良である。簡単な書字・読字も困難であり、24×2位の簡単な計算も困難である。簡単な交通標識等は大体理解している。中学校を卒業しているが成績は不良であったという。軽症魯鈍級の精神薄弱と考えられるが、絶体的に運転が不適当という程のものではない」との記載があった。公安委員会は、慎重審議をする義務がある以上、少なくとも右傍点を付した文言に留意すべきであった。
さすれば、右傍点を付した部分の文言は、社会的適応能力を有することを述べていることが容易に理解し得たといいえよう。
さらに「軽症」という形容詞が魯鈍に付されているのであるから、原告がすぐれて境界線上に位置していることを述べていることに気がつくはずである。魯鈍そのものが精神薄弱の軽症を指すものであるから、検査書の措辞は軽症の「軽症の精神薄弱」を意味していることになり、原告がすぐれて境界線上に位置することが理解できるはずである。
右に加えて、「絶対的に運転が不適当という程のものではない。」という記載に留意し、これを素直に読むならば、免許を取消さなくともよいという理解になって然るべきである。
このような事実からするならば、公安委員会は指定医の診断が精神医学的にみて原告を精神薄弱者であると断定したものであると考えるべきではなかったということができる。右検査書の記載の方法及び過去の他の案件の審議結果からすれば、原告のような診断がでた場合には、免許取消処分をなしていなかったわけであるから、公安委員会としては、それをあえてやるためには指定医にその見解を問い訊して、診断の意味するところや運転免許取消の是非についても確認調査すべきであった。右確認や調査は極めて容易に為し得ることであり、また、為さなければならない最低の基本的なことがらであるから、それをしなかった公安委員会には過失がある。
(ⅳ) 仮に、公安委員会が当時の野村医師の精神薄弱者と考えられるという診断を信じたとしても、それは精神医学上の問題であるから原告が道交法上の精神薄弱者であるか否か十分に審議すべきであった。
即ち野村医師の診断書の「運転が不適当という程のものではない」という意見に関して、十分な質疑応答がなされてしかるべきであるが、その点に関して公安委員よりなにも質問が出ておらず、このことは、原告が道交法上の精神薄弱者に該当するか否かについての議論が為されなかったということに等しい。
(ⅴ) 仮に、右の点につき議論が為されたとしても、原告が道交法上の精神薄弱者にあたるという断定をするためには、野村医師の診断書のみでは不十分であり、その他に原告の生育歴・職歴・運転歴・脳波検査・知能検査・その他各種の心理テストをした上で十分な審議をしなければ、原告が道交法上の精神薄弱であるという断定は不可能であったし、また右程度の検査・調査を実施することは精神薄弱者であるという理由で免許を取消される者の不利益を考えた場合、決して過重な要求ではなく、当然なすべき義務である。
しかるに公安委員会は右義務を怠り、野村医師の診断書の解釈を誤り、右診断書以外になんら調査・検査もしなかった。
(四) 聴聞省略の過失
(1) 聴聞は、授権的処分の取消をするための必須の前提条件とされているのが普通であり、また、それが望ましいが、処分によっては、それが行政庁の裁量にゆだねられていることがあり、道交法一〇四条四項もその一例である。しかし、それは決して公安委員会の恣意的裁量をゆるすものではない(このことは最高裁昭和四六年一〇月二八日判決(民集二五巻七号一〇三七頁)に照らし明らかである。)。
ところで、道交法一〇四条一項は、免許を取り消そうとするときは、公開の聴聞を行なわなければならないと規定し、同条四項は、右原則に対する例外として、裁量によって聴聞を省略しうると規定している。原則として必要とされる聴聞を例外的に省略しうるとするのであるから、裁量によるといっても、その巾はきわめて狭いと言わなければならない。このことは前者が授権的処分であるのに対し、後者がその撤回であることからも容易に首肯できる。
(2) 適正な法の手続を保障している理念からして聴聞を行なうか、行なわないかの裁量じたいをき束する具体化した審査の基準が定立され、行政はこれにき束されることが必要である。
右基準について検討するに、まず、①被聴聞者が聴聞権を放棄した場合②聴聞期日に欠席した場合及び③被聴聞者の所在が不明である場合に聴聞を欠きうることについては問題がない。
本件で問題になっている精神薄弱者については、重度の精神薄弱者のうち、「白痴」は、「言語をほとんど解しない」のであり、聴聞をおこなっても「被処分者の陳述によってその判断結果が左右されるものでない」から、聴聞を欠くことができる。重度の精神薄弱者のうち「痴愚」も、「知能年令が六ないし七才程度」であるから、同様である。軽度の精神薄弱者、つまり「魯鈍」は「知能年令が一〇ないし一二才程度」というのであるから、同様に理解すべきであるとしても、一三ないし一五才程度の軽症「魯鈍」者は、正常状態と紙ひとえの、テストの環境いかんによって、正常状態者とその位置をかえることもあるとみられる限界領域にあるものもあるのであるからこのような者については、被処分者がそれまで免許を付与されていたという社会適応面を考慮して、聴聞の機会を与えることが妥当である。
(3) そもそも、精神医学において、精神薄弱の診断と鑑別は困難な作業である。
このような精神薄弱者の認定は、困難な、慎重に行なうべき大切な手続である。しかるに右手続について公安委員会は何ら具体化した審査の基準を設定していない。
(4) たとえ、精神薄弱概念の解釈適用をあやまり、精神薄弱者でないものを精神薄弱者であると誤認したとしても、公安委員会が適正な法の手続の精神を理解していたら、被処分者を聴聞することによって、免許取消という残酷な処分をさけえたことであろう。しかし、公安委員会は、学術的な結果が出たような場合には、聴聞をやっても実益がないことを理由に原告の聴聞をうける権利をうばった。
(5) 以上のとおり、公安委員会は「過去の運転上の経歴による危険性及び自動車等の運転上必要とされる判断能力などを総合的に判断して」、「道交法の目的にかんがみ自動車を運転することが道路交通上危険である」かどうかを認定するにあたって、聴聞を行ないそのために必要な事項について、原告に対し、その主張と証拠の提出の機会を与えるべき職務上の義務があったにもかかわらずこれを怠った。
(五) 公安委員会の手続実施上の過失
公安委員会は、その良識を発揮して、属僚のする準備手続が一方的かつ専断にわたらないようそれを手続面から規制して、取消の原因となる事実の存在が客観的に立証されてはじめて取消を許すという考え方にたって、通知・聴聞を厳重に行ない、とりわけ、聴聞にあたっては事務局属僚の独断を疑われないような内容の事実の認定を行なうようにすべきであり、そのためには、あらかじめ具体化した審査の基準を設定しておき、さらに、基準を具体的に適用する上で必要とされる事項について、原告に対し、その主張と証拠を提出する機会を与えるよう指示すべきであった。
公安委員会は、本件において右規制・指示をおこなっておらず、手続は、もっぱら事務局属僚の独走というかたちですすめられ、公安委員会は、これに従って決裁伺いを「決裁」しただけにすぎない。
6 損害
(一) 慰謝料 一〇〇〇万円
原告は、昭和四六年一月二五日公安委員会によって自動車運転免許を取り消されるまで、あしかけ一〇年間の大部分を職業運転手として、自動車運転の業務に従事し、その生活を維持してきた。
原告は、公安委員会の過失によって精神薄弱者になったとして、違法に運転免許を取り消された。そのため、原告は、その勤務先である丸大急送株式会社四日市営業所において、従来従事していたタンク・ローリーの運転業務を免ぜられて、草取り、ドブさらえ・洗車等の雑役夫の仕事に従事させられた。これによって、原告が使用者からうける労働賃金は大巾に減少した。免許取消処分取消判決(請求原因4参照)によって、昭和五一年三月一五日運転免許証が原告の手に回復するまで、原告の定期昇給はほとんどおこなわれなかった。
原告が精神薄弱のゆえをもって免許を取り消されたことが知れわたるとともに、原告の勤め先営業所及び原告の住所周辺の人達が原告にそそぐ冷い視線は、原告によってたえがたいものがあった。それは、身をもって体験したものでないかぎり、理解しえないものである。原告は、精神薄弱者のらく印を押されたことによる衝撃によって、一時は、自殺しようかとさえ思いつめたことがある。
労働賃金の減少は、主として乗務時間外手当及びその日の運転距離・時間に比例する歩合給の減少による――これによって、免許取消の翌月である昭和四六年二月分の給与の総支給額は前月に比べて約四三%も減少している――ものである。しかし、原告は、免許を取り消されたのちも、新入社員のタンク・ローリー運転指導のために助手席へ添乗し、よって時間外手当及び歩合給の各支給をうけたことがあること、時間外手当が乗務としての時間外手当ばかりでないことなどの理由によって、右二手当の減少額は、これをもってただちに免許取消による損害とはいいがたく、免許取消による二手当の減少額を算定することは不能にちかい。また、その他の給与部分も、免許取消によって多少の減少をきたしているはずであるが、いずれも、その額を正確に算定することは非常に困難である。もともと、原告が支払いをうけていた賃金は、ようやく原告の生活需要をみたす程度の金額であったし、また、それが減少したからといって、他から信用借りしてまでその減少分を補充することもできないから、賃金の減少は、ただちに生活需要を節倹することになり、原告は、それだけの精神的苦痛をこうむっている。
また公安委員会事務局は、そのあやまれる解釈適用にもとづいて、運転免許取消通知書用紙に印刷されている教示文言を抹消し、原告が不服審査の請求をするみちをとざした。そのうえ、原告が処分を不服として申し立てた苦情に対し、公安委員会は、不そんかつごう慢な態度をもって応接した。
以上の諸事実によって、原告がこうむった精神的損害を慰謝するに足る金額としては一〇〇〇万円を相当とする。
(二) 弁護士費用 二〇〇万円
さらに原告は公安委員会から受けた損害を回復するため、弁護団との間で訴訟費用として前記行政訴訟を提起するに際して一〇〇万円、本訴訟を提起するに際して一〇〇万円を支払う約束を為したので、右相当額の損害を受けた。
よって、原告は被告に対して、右損害金合計一二〇〇万円及びこれに対する不法行為の日の後である昭和五一年五月八日から支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否及び反論
1 請求原因1ないし4の各事実は認める。
2 同5前文は否認する。
3 同5(一)(1)は否認する。(2)のうち原告の主張するWHO、AAMDの定義及び文部事務次官通達の内容、野村医師が公安委員会の指定医であった点は認め、その余は否認する。(3)は否認する。
原告は、昭和五四年八月三〇日付最終準備書面で、原告を精神薄弱者と診断した野村医師を、公安委員会の補助機関であるとし、同医師の過失即公安委員会の過失論を構成しているが、右補助機関説は、前記準備書面で初めて表われた全く新たな主張であり、しかも従来の請求の原因になかったものを事実調べが全部終了した段階で、突如つけ加えたものであることは記録上明らかである。もとより被告は右説を否認する以上、両者の実体及び手続面での関係、実情等についての攻撃防禦方法を今後さらに尽くして行かねばならない。その結果訴訟を著しく遅延せしめる恐れがあるにより、補助機関説の主張は時機に遅れたものとして民訴法一三九条一項により却下されるべきである。
原告が右補助機関説をもち出した意図は、野村医師を、本件請求の準拠法とする国家賠償法一条一項に定める公権力の行使に当る公務員としての公安委員会に転嫁せしめようとの目的にほかならない。しかし野村医師は、公安委員会の依頼によって原告を診断した大学医学部の教授であり、身分上は勿論、診断業務について独立した職務権限を有し、公安委員会との間に命令服従、指揮監督の関係は全くなかったものであり、同医師が公安委員会の補助機関に該らぬことは明らかである。
また、精神薄弱者と認めるかどうかについての精神科医の診断の方法、資料等については、なんらの規定がないから当該医師はそのときの医学及び技術水準の範囲内で相当と認められる方法、資料等を用いて診断、認定すればよいのであって、良心に従って誠実に診断した結果認定した事実が他の医師のなした診断とその方法、資料等において若干の差異があったり、認定事実が相違しておっても違法ということはできないしまた過失でもない。いわんや爾後の事情により当初の認定、判断と相違するにいたったような場合においてはなおさらのことである。
4 同5(二)(1)のうち原告の主張するWHO・AAMDの定義及び学校教育法、同施行令の規定は認め、その余は否認する。精神薄弱の概念について原告の主張するところが、昭和四五年当時において世界各国及び日本において共通の見解であったという事実は全くない。(2)のうち警察庁交通局運転免許課の意見表明のあったことは認め、その余は否認する。(3)は否認する。
仮に、原告が主張するように精神薄弱者であるかないかの判別に社会的適応性や定職に就き定収入を得ているということを条件として加味するとしても、それは極めて抽象的であって環境や程度に問題があり計量できるものではない。
現に、我が国の文部省においても白痴、痴愚、魯鈍を分類するに「精神遅滞の程度」をもってし、WHOやAAMDにおいても知能指数、知能年齢による区別を採用しているのである。
本件取消処分をなした昭和四五年当時において、原告主張のような概念は全く定立しておらず、このことは原告を診断した野村医師も認めている。
警察庁交通局運転免許課長のいう道交法八八条一項二号の精神薄弱は、精神医学上の診断を基として道路交通上の危険性を加味して判定することとなるが、仮にこれを是認するとしても、ここにいう危険性とは医学的診断等、過去における運転行動つまり事故違反歴さらには運転適性検査結果などを総合して判断するもの、即ちそれは輻輳する現実の交通環境において安全運転、無事故運転を行なう能力を有するか否かということである。
一般に知能の低い者に事故が多いことは既に実証されている。
5 同5(三)(1)は否認する。
6 同5(三)(2)(ⅰ)のうち、公安委員会が原告の主張するスリップ事故一件、スピード違反一件、追越違反一件を基礎資料としたことは認め、その余は否認する。
原告については、
昭和四四年七月九日
京都市において人身交通事故
昭和四五年七月一九日
四日市市内において最高速度超過違反
昭和四五年八月一八日
鈴鹿市内において指定禁止場所追越違反
等のほか積載超過違反もあり、その合計は人身交通事故一回、交通法令違反六回となっている。
原告は、右事故における過失の程度は軽く、スピード違反などは誰でもしており、九年間のものであることを考えれば決して多いとは言えないと主張するが、それらの事故や違反は原告が大型免許を取得してから本件取消処分を受けるまでの四年間に集中していることが問題であり、このような運転者は極めて少ないのである。
同5(三)(2)(ⅱ)は否認する。原告は、運転適性検査が運転適性の判定資料たり得ないともいうが、右検査は、本来運転者の性格等に関する適性検査と呼ぶべきものであり、事故傾向の予診検査を目的とするものであって、その検査結果をもって直ちに運転適性を云々し運転免許の取消しに直結するものではない。
同5(三)(2)(ⅲ)のうち原告がチェックリストの四点にチェックされた点は認め、その余は否認する。
7 同5(三)(3)(ⅰ)のうち、公安委員会へ「免許の欠格者審査手続書」及び「運転適性精密検査書」が提出された点は認め、その余は否認する。他にも提出資料はあったものである。
同5(三)(3)(ⅱ)のうち、参考事項として事故歴一回違反歴二回が記載されている点は認め、その余は否認する。
同5(三)(3)(ⅲ)のうち運転適性精密検査書の検査の結果及び所見の記載欄に原告の主張する記載のあった点は認め、その余は否認する。
公安委員会は、野村医師の診断に基づき原告を道交法八八条一項二号に該当する精神薄弱者であると認め、道交法一〇三条一項の規定により必要的取消処分としてその運転免許を取消して然るべきところであったが、より慎重を期するため運転適性検査の結果や過去における事故、違反歴などを参考として本件取消処分を決定したものである。
指定医の診断には原告の主張する記載があるが、「絶対的に運転が不適当のものではない」との文言は全くの余事記載であり、この文言が軽症魯鈍であるとの診断主文を左右するものではない。
同5(三)(3)(ⅳ)(ⅴ)は否認する。
8 同5(四)(1)ないし(5)及び(五)は否認する。
聴聞を行なわなかったことに対する原告の非難は全く当らない。即ち原告の引用する道交法一〇四条一項はなるほど同法一〇三条一項の規定により免許を取消す場合には聴聞の期日、場所を通知し、公示しなければならないとしているが、この規定の例外規定として法律は特に昭和四二年の法律改正によって同条四項を新設したものであり、而して右例外規定を設けた理由は、聴聞を受けさせようとする対象者自身が固有する心身の絶対的条件が、聴聞の目的と相容れないためと、同法一〇三条一項の適用を受ける同法八八条一項二号から四号に該当する者はいわゆる必要的取消の対象となるものであるうえに、二号(精神薄弱者)及び三号、四号の者については、程度、方法の差があるものの、いずれも専門医の診断、検査に基づいて認定される者であるから、それらの診断、検査はいうなれば事前聴聞の役割をはたしているだけでなく、専門医の分野に属する事項について、門外漢の聴聞主宰者が事後において同一事項に関し聴聞を行なうことは無意味であるからである。
なお、同法一〇三条一項は必要的取消を定めたものであることと、前記例外規定新設の理由をあわせ考えれば、同法一〇四条四項の「聴聞を行なわないで」の文言は、「聴聞を行なわない」と断定の意味に解すべきであって、原告主張のごとく聴聞を行なわなければならないとの意味でないことは勿論、聴聞を行なうか行なわないかが公安委員会の裁量にまかせられているとの意味に解することもできない。仮に裁量規定と解するにしてもいわゆる自由裁量に属し、原告のいうような覊束裁量ではないから、前訴及び本訴記録にあらわれた諸般の状況、経過にかんがみれば、聴聞を行なわないことを決定した公安委員会の裁量に過失がなかったことは容易に認められるはずである。
9 同6の(一)のうち免許取消以後の原告の職業の態様、賃金の変化については不知、その余は否認する。
同6(二)のうち原告と弁護団間の訴訟費用支払契約は不知、その余は否認する。
10 公安委員会には、原告の主張するような違法または過失はない。
公安委員会が原告を道交法八八条一項二号に該当する精神薄弱者であると認定し、同法一〇三条一項の規定によりその運転免許を取り消した手続及び判断の理由の経緯は次のとおりである。
(一) 原告は、昭和四五年九月二五日交通法今違反の累積点数により運転免許の効力停止九〇日の処分を受け、同年九月三〇日及び同年一〇月一二日の両日津市栄町一丁目一七一番地所在の安全運転学校において行なわれた処分者講習を受講した。
当時処分者講習は、道交法一〇三条九項の規定に基づき運転免許の効力停止処分を受けた者を対象として行なわれ、その際九〇日以上の効力停止処分を受けた者に対しては科学警察研究所が開発した運転者の性格等に関する適性検査を行なうこととされていた。
右運転適性検査は、心理学的手法を用いて事故傾性を予診検出するため長年月にわたる幾多の研究結果を基にして標準化された紙筆式検査でありその検査結果は
評価値(判定値)1 自動車の運転作業には不適である。
〃 ( 〃 )2 自動車の運転作業には注意を要し、十分な監督の下に運転する必要がある。
〃 ( 〃 )3 自動車の運転作業につくことは差支えない。
〃 ( 〃 )4~5 自動車の運転作業に適している。
の五段階により評価される。
原告は、安全運転学校において受講中の同年九月三〇日右運転適性検査を受験したが、その結果は五段階評価の最低位「1」即ち「自動車の運転には不適である。」とするものであり、特に精神的活動性(知的能力)の劣りが顕著であった。そのため改めて同年一〇月一二日原告に対し自動車の運転に関する基礎的、初歩的事項について聴き取りしたが応答の言動はあいまいで要領を得ないものであったので引き続き観察要目(チェックリスト)による観察を行なったところ、その結果は「精神薄弱の疑いあり」とされるものであった。
原告については前述のとおり運転適性検査や観察要目による観察の結果から道交法八八条一項二号にいう精神薄弱者ではないかと疑うに足りる十分な理由が認められたため同法一〇二条一項による臨時適性検査を行なうこととした。
(二) 原告に対する臨時適性検査は昭和四五年一一月二六日津市高茶屋小森町二七四六番地三重県警察本部交通部運転免許課に併設された運転適性検査所において次の手順により行なった。
(1) 原告に対して改めて運転適性検査を実施した。
前回(九月三〇日)の検査結果やその後における応答の状況及び観察要目による観察結果などから改めて運転適性検査の一部(検査の短縮版に類するもの)を実施したが、その結果は前回の場合と同様にその評価値(判定値)は最低位の「1」であり知的能力の劣りが顕著であった。
(2) 右適性検査に引き続きバウム・テストを実施した。
バウム・テストとは被検者に白紙と柔かい鉛筆を提供して「実のなる木を画いて下さい」旨の教示をし、その描画表現により人格の正常、異常を識別するものである。
原告は、三重県警察本部交通部運転免許課勤務の山岡晃の教示に従って「うめ」と称する樹木を描き提出している。
(3) 次いで医師野村純一が原告を診断した。
道交法一〇二条一項に規定する臨時適性検査は運転免許を有する者が精神病者、精神薄弱者、てんかん病者、アルコール、麻薬、覚せい剤の中毒者となった場合または身体の障害により運転に支障があると認められる場合に必要な検査を行なうものであり、そのうち精神病者、精神薄弱者等については道交法施行規則(昭和三五年一二月三日総理府令六〇号)二九条の四により精神衛生鑑定医の診断により行なうこととされている。
野村医師の原告に対する診断の方法は運転適性検査等を実施した山岡晃から前後二回にわたる運転適性検査の結果や観察要目による観察結果の説明を受け、さらに原告が「うめ」と称して描画したバウム・テスト用紙の提供を受け、これらを参考に問診等により原告を診断した。
診断の結果は運転適性精密検査書に「別に病的体験もないが、知的作業をやらせるとかなり不良である。簡単な書字、読字も困難であり24×2位の簡単な計算も困難である。
簡単な交通標識等は理解している。軽症魯鈍級の精神薄弱と考えられるが絶対的に運転が不適当という程のものではない。」と記載して公安委員会に提出した。
右のとおり野村医師は原告を診断するにあたり、予め示された運転適性検査結果、観察要目による観察結果、バウム・テスト結果などを参考として内容的には相当長時間を費やし慎重な検査をした結果、原告を精神薄弱者と診断したものである。
即ち野村医師は当時における精神医学の一般的通説的概念に基づき必要な検査資料の提供を受けて原告を診断し、軽症魯鈍級の精神薄弱者であると断定しているのであり、いわゆる境界領域にあって甲乙つけ難い場合とは異なり原告の右の如く明らかに法定欠格者とされている精神薄弱者と診断された以上、公安委員会がこれに疑義を挿む余地は全くなかった。
(三) 公安委員会は原告に対する臨時適性検査に基づき昭和四五年一二月一一日委員全員出席による会議を開催して審議した。
この委員会には事務局から
(1) 免許の欠格者審査手続書
(2) 野村医師作成にかかる運転適性精密検査書
(3) 二回にわたり実施した運転適性検査結果表
(4) 観察要目による観察結果表
(5) 原告にかかる人身事故行政処分関係書類及び交通法令違反取締原票 二枚
が提供され、次のような説明が加えられた。
(1) 免許の欠格者審査手続書は精神薄弱の疑いある原告の運転免許を取消すか否かについて、公安委員会に付議する手続書であること。
(2) 運転適性検査は前後二回にわたって実施したがいずれも五段階評価の最低位「1」であり知的機能の極端な劣りが目立っていること。
(3) 観察要目による観察結果は精神医などの専門医の診断を受けしめるか否かの判断資料となるに過ぎないが、原告については精神薄弱を疑わしめるものであったこと。
(4) 野村医師は道交法一〇四条四項の規定による公安委員会の指定医であり、原告に対しては、運転適性検査や観察要目による観察の結果、さらにバウム・テストの結果を参考として診断を行なったが、運転適性精密検査書のとおり軽症魯鈍級の精神薄弱者であると診断したこと。
なお、検査書の末尾には「絶対的に運転が不適当という程のものではない。」と付記されていること。
(5) 原告は京都市において人身交通事故を起しているほか昭和四五年七月一九日から一か月の間に速度超過違反と追越禁止違反をしていること。
右諸資料を検討し、事情経過説明を聴取した公安委員会はつぎのように考察判断をなした。
(1) 原告が権威ある医師により、軽症魯鈍級の精神薄弱者であると診断されている事実を確認したうえ道交法八八条一項二号の精神薄弱は特に白痴(重度)、痴愚(中度)、魯鈍(軽度)等の区別をしておらず、原告の場合軽症であるとはいえ魯鈍の範疇に包含され右法条にいう精神薄弱に該当することは法文上明らかである。なお「絶対的に運転が不適当という程のものではない」旨の記載は医師に対する診断依頼の趣旨に照らしても不必要な記載であり、たとえこの文言がいわゆる参考意見であるとしても、これによって原告が軽症魯鈍級の精神薄弱者であるとの事実を否定するものではなく、さらには同法一〇三条一項の規定の精神病者、精神薄弱者等についてその程度に応じ処分を考慮するが如き裁量権が認められていないので右診断の結果のみにても原告の運転免許は取消さなければならない。
(2) 野村医師の診断は運転適性検査や観察要目による観察結果、バウム・テストの結果等を参考として行なわれている。野村医師は公安委員会が数年前から精神医学上の各種の検査を依嘱している県立三重大学医学部に在職する学識経験豊かな専門医であるところから、同医師の診断を尊重することは当然のことであるのみならず医学に無知な公安委員会がこの診断に対して疑問を抱くような点は全くなかった。
(3) 原告の知能度が事実上低劣というだけでなく、道交法八八条の精神薄弱者に該当するものであることは野村医師の診断や運転適性検査の結果に徴して明らかであり、さらに原告は比較的短期間に人身交通事故や交通法令違反を繰り返している。
(四) 道交法一〇三条一項の規定は、運転免許を有する者が同法八八条一項二号の精神病者、精神薄弱者等となったときは、必ずその免許を取消さなければならないとする趣旨のものであり、ある者が右に該当すると認定された場合、これを取消すか否かについて公安委員会の裁量を認めるものではない。
これを原告についてみると権威ある精神衛生鑑定医が、二回にわたってなした運転適性検査の結果やバウム・テストの結果を参考にして、当時における精神医学の通説に従い自信をもって「軽症魯鈍級の精神薄弱者である。」旨診断しているのであり、本来ならば右診断のみで道交法一〇三条一項に該当するからこの一点で免許取消しが可能であるが、公安委員会は右診断のほか委員会独自の立場から運転適性検査の結果や事故違反歴など交通事故惹起の危険性をも考慮したものである。
右のとおり公安委員会の本件取消処分は野村医師の診断においてもあるいは原告を道交法八八条一項二号所定の精神薄弱者であると認定した判断の過程においても通常要求される以上の注意を尽くし、より慎重に決定した処分であり、その後結果的には別件行政訴訟において右処分が取消されたとしても、公安委員会に違法または過失があったとはいえない。
11 精神薄弱の概念をいかに規定するか、道交法上の精神薄弱者を他の法律体系のそれと区別すべきか、精神薄弱者と認定する方法、聴聞を行なわなかったことが裁量権の逸脱か否かについてこれらはいずれも法の解釈の当否の問題であるところ、仮に公安委員会の法解釈に誤りがあったとしても、その解釈基準は有権的には勿論、学界等においてもいまだ定立しておらない当時において、公安委員会が全スタッフをあげて調査、検討した実績と、全国的行政水準による知識とそれに基づく信念によって、是と判断したことが、たまたまその結果が非とされたとしても、これによって公安委員会の過失の問題を生ずる余地のないことは「或る事項に関する法律解釈について異なる見解が対立して疑義が生じ、拠るべき明確な学説判例がなく、実務上の取扱いも分かれてその何れについても一応論拠が認められる場合に公務員がその一方の解釈に立脚して公務を執行したときは、後にその執行が違法と判断されたからといって右公務員に過失があったとすることは相当でない」との最高裁判所第一小法廷の昭和四九年一二月一二日の判決の判旨に照らし明らかである。
第三証拠《省略》
理由
一 請求原因1ないし4の各事実は当事者間に争いがなく、公安委員会が原告に対してなした運転免許取消処分が違法な処分であったことは、当庁昭和四六年(行ウ)第一号事件の判決(昭和五一年三月一三日確定)により確定されたところである。
二 《証拠省略》及び前記当事者間に争いない事実並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(一) 原告が受けた処分者講習の結果に基づき、臨時適性検査が実施され指定医である野村医師が原告を診断した結果、原告を軽症魯鈍級の精神薄弱者と判定するに至った経緯は、被告の「請求原因に対する認否及び反論」の10の(一)・(二)のとおりである。
(二) 昭和四五年一二月一一日公安委員会は原告に対する臨時適性検査に基づき委員三名全員出席して会議を開き、原告の件を審議した。右席上事務局から免許の欠格者審査手続書及び野村医師(京都大学医学部を卒業し、当時三重県立大学医学部講師であり、すでに精神鑑定医の指定もうけ、昭和四三年七月三〇日からひきつづき公安委員会の指定医であった。)作成にかかる運転適性精密検査書(右書類の「検査の結果及び所見」の記載欄には「質問に良く答え、別に病的体験もないが、知的作業をやらせるとかなり不良である。簡単な書字、読字も困難であり、24×2位の簡単な計算も困難である。簡単な交通標識等は大体理解している。中学校を卒業しているが成績は不良であったという。軽症魯鈍級の精神薄弱と考えられるが、絶対的に運転が不適当という程のものではない。」との記載があった(右事実は当事者間に争いがない。))が提出され(右二通の書類が公安委員会に提出されたことは当事者間に争いがない。)同席していた同事務局山本課長が右検査の結果及びそれがなされるに至るまでの経緯について、また参考事項として原告の昭和四四年一〇月二二日の人身事故(大型貨物自動車を運転中、降雨のためスリップしやすい状況であったにもかかわらず、信号により停止すべく急制動をかけた過失により横滑りし、道路端の水銀灯及び人家のブロック塀に自車を衝突させ同乗者に三週間の傷害を与えたもの)、昭和四五年七月一九日の速度違反、同年八月一八日の追越禁止場所での追越違反計三件を事故の一件記録及び交通切符等の資料に基づき口頭で説明し、審理は前記検査書が中心となってすすめられた。そして、その間に公安委員から検査書の「絶対的に不適当という程のものではない」との記載について質問があり、山本課長が参考意見としてうけとってよいと説明したことがあり、また、公安委員から「これは法律にちゃんとこういうふうに該当するんだから、気の毒ではあるがやむを得ない。しかし、これは考え方によっては、こういう方には免許を持っていただかないほうが、本人さんのためではないか。」という意見も出され、審理は一時間ほどで終り、その結果原告について精神薄弱者(軽症魯鈍級)で免許の欠格事由に該当するものであると認定がなされ原告に対する免許取消処分がなされた。なお聴聞は道交法一〇四条四項に従い行なわれなかった。
(三) 公安委員会は昭和四五年当時道交法八八条一項二号所定の精神薄弱者は医学上の精神薄弱と同意義であり、精神薄弱とは主に知能の発達程度が遅滞している者であるとの認識をもっていた。当時精神医学上の精神薄弱者の概念については、知能指数(IQ)による定義のほかWHO、AAMDによるものなど種々の定義があり、我国の精神医学界においては、右WHO、AAMDと同じく知的能力及び社会適応能力の双方を含めた考え方が多数になってきていた。しかし、公安委員会を含め警察部内では昭和四五年当時、右法条所定の精神薄弱者については「持続的知能欠陥を主とする精神状態にあるもの」との定義が一般的に行なわれており、各県公安委員会の実務も右定義に従って運用されていたもので、また医師により精神薄弱者であるとの診断がなされた場合には欠格者として取扱うべきものとされ、免許を取消すよう指導されそのように運用されるのが一般であった。しかして指定医たる野村医師もまた右定義に従う立場にあった。
三 そこで、右処分についての公安委員会の過失の有無について判断する。
1 請求原因5(一)について
国家賠償法一条所定の「公務員」とは同条の立法目的よりして国家公務員法等により公務員としての身分を与えられたものに限らず、およそ、公務を委託されてこれに従事する一切の者を指すと解するのが相当である。しかるところ医師野村純一が道交法一〇四条四項の規定に基づき公安委員会によって精神病者等の身体的欠格者であることを診断する医師に指定された(右指定の性質は公法上の契約と解される。)指定医であることは当事者間に争いがない。しかして、指定医制度は公安委員会が免許取消という自らの権限を行使する際の医学的判定機能としての役割をもつものであり、指定医は公安委員会が個々の対象者について免許取消処分をなすべきか否かの判断をするに必要な医学的診断を下すための鑑定を行なうことを職責とするものであるから、前説示のところに照らせば、指定医もまた国家賠償法の関係においては、「公務員」というにさまたげないものということができる。
しかしながら、指定医はその職務を行なうに際し公安委員会から指揮監督を受けることなく、独自の権限により、医師としての立場で対象者の診断にあたり、同人が道交法八八条一項二ないし四号該当者か否かの判定をなすものであること、右指定医の診断がある場合には聴聞を行なわないで免許を取消すことができるとされていること、また、公安委員会の運用としても、前記のとおり、指定医の精神薄弱者であるとの診断がなされた場合にはそのまま道交法八八条二号の欠格事由に該当するものとして免許の取消処分をなしていたことなどに鑑みると、指定医はむしろ公安委員会とは別個の独立して「公権力の行使に当る公務員」と解するのを相当とすべく、そうとすると指定医の診断・判定に過失があるとしても、これをそのまま公安委員会の過失と解することはできない。
したがって、本件において仮に公安委員会の指定医である野村医師の診断・判定に過失があったとしても、これを直ちに公安委員会の過失とみることはできないのであって原告の主張は失当である。
(被告は右主張につき時機に遅れた主張であり民訴法一三九条一項により却下されるべきであると主張する。なるほど、右主張は原告の最終準備書面においてはじめて主張されたものであるが、右主張の前提となる事実関係は従前取調ずみの証拠資料により立証されうるものであり、右準備書面が陳述された次回の弁論期日に結審していることは記録上明らかであって右主張により訴訟を著しく遅延せしめたとは認められず、したがって、本件では民訴法一三九条一項の要件を欠いており、被告の主張は採用できない。)
2 請求原因5(二)について
道交法上の精神薄弱者概念については、前記当庁昭和四六年(行ウ)第一号判決のとおり知的能力と社会的適応能力との両者を概念規定の中に含むWHO、AAMD等の立場を妥当なものとして採用すべきであると解されるところ、公安委員会がこれと異なる見解に立っていたことは前記(二・(三))のとおりである。
ところで、一般に公務員がある行政処分をするにあたり、処分の根拠となるべき法令の解釈につき、当時行なわれていた行政解釈に従ったときは、その解釈がその当時において著しい不合理性を有するものでないかぎり後にそれが裁判所に採用されずその結果違法な処分とされたとしても、公務員に処分の違法性について認識の可能性があったということはできないから、過失はないというべきである。
これを本件についてみるに、右公安委員会の見解は前認定のとおり当時各県公安委員会等警察部内の実務の一般的見解でもあったこと、当時においては解釈について確定的な判例もなく、精神医学界においても精神薄弱の見解について右見解と同旨の見解もあり、その中には知的能力のみで考える考え方もあり一義的に定まってはいない状態であったことに照らすと、前記見解が当時において著しく不合理であったとはいえず、したがって、公安委員会が精神薄弱について知能面を主としてとらえかつ道交法上の精神薄弱と精神医学上の精神薄弱が同一であると解していたとしてもこの点をもって過失があるとすることはできない。
3 請求原因5(三)について
公安委員会が運転免許の取消処分をなす場合は、右取消処分が被処分者に対し、重大な影響を及ぼすものであり、道交法一〇四条の法意からしても公安委員会においては被処分者が処分事由該当者か否かについて十分な資料に基づいて調査した上、慎重に審議すべき義務があることはいうまでもない。
ところで、本件においては、公安委員会は前認定のとおり、道交法の規定するところに則り、前記二・(一)の経緯をへて、同(二)のとおり審議をなし指定医の運転適性精密検査書及び原告の事故・違反歴等を総合し原告を精神薄弱であると認定し免許を取消しているところ、右検査書は専門医である野村医師が前記認定の診察をなした上で作成したものであり、また、道交法一〇四条四項が指定医の診断に基づく場合には聴聞手続を省略できる旨を定めていることから明らかなように法律上も指定医の診断書を判断資料として最重要視しているのであるから、特段の事情が認められないかぎり当時公安委員会が資料として右検査書と事故歴、違反歴を参考にし係官の説明を求めた程度で判断を下したとしても、右義務に反するものとまではいえず、右のほか生育歴、職歴等の調査あるいは知能検査脳波検査等までしなかったとしても(かかる検査等は本来指定医においてその要否を検討すべきものである)、これをもって公安委員会に過失があったということはできない。
もっとも、右検査書の結果及び所見の記載欄には、前示のとおり「精神薄弱と考えられる」との記載があるものの、「魯鈍級」に軽症との文言が付されており、また、「絶対的に運転が不適当という程のものではない」とも付記されているのであるから、このような検査書が提出された場合には公安委員会としては事柄の性質上その意味するところは何なのか直接野村医師の意見を聞いて審議すべきであったと解されるのに、前認定のとおり審議の際に公安委員は「絶対的に運転が不適当という程のものではない」との点について質問をなしているものの、単に山本課長の「参考意見として受けとってよい」との説明のみで納得し、公安委員及び山本課長において野村医師に直接これを確かめることをしなかった点は問題がなくはない。しかしながら、当時野村医師が精神薄弱者の概念につき公安委員会と同様の見解に立っていたことは前認定のとおりであり、また前記甲第七号証の二(野村純一証人尋問調書)によれば、「絶対的に運転が不適当という程のものではない」との文言は医学的にどうしても運転が不適当であるという病症はないとの意味で医学上の判断であるというのであるから、野村医師が当時原告を精神医学上の精神薄弱者に該るものと診断していたことは明らかであり、したがって公安委員会が精神医学上の精神薄弱者と道交法上のそれとを同一であると考えていた以上公安委員会において野村医師に前記検査書の記載についてその意味を確認したとしても、これによって公安委員会の判断が変更される余地はなかったものというべく、したがって仮に右の点をとらえ過失ありとしてみても本件免許取消処分との間には因果関係はないといわざるをえない。
なお原告がその他本主張に付随し種々主張するところはいずれも原告独自の見解に依拠するものであり、すでに認定説示したところから明らかなように全て採用の限りでない(ちなみに本件の場合指定医たる野村医師の診断自体に問題のあるものであることは《証拠省略》によっても明らかなところであるが、これをもって直ちに公安委員会の過失となしえないことは前説示のとおりである。)。
4 請求原因5・(四)について
道交法一〇四条四項は、同項所定の事由あるとき聴聞を行なうか否かについて公安委員会に裁量権を与えたものと解されるところ、本件の場合に聴聞を行なわなかったことが公安委員会の裁量権の濫用もしくは逸脱にあたるものと認むべき事由は本件全証拠によってもこれを見出すことができない。本主張に関し原告が種々主張するところはいずれも原告独自の見解に依拠するものであり採用の限りでない(原告の引用する最高裁判決は本件に適切でない。)。
5 請求原因5・(五)について
本主張もまた原告独自の見解に依拠するものであるのみならず原告の免許取消の審理状況はさきに認定したとおりであって、本件全証拠によるも免許取消の手続が事務局の独走というかたちですすめられたとは認められない。
四 よって、その余につき判断するまでもなく原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 上野精 裁判官 川原誠 裁判官徳永幸藏は、転補につき署名捺印することができない。裁判長裁判官 上野精)